『昔の戦国武将なんかは、
趣味程度で囲碁や将棋をしていたのにも関わらず、
そのレベル・腕前は現在のプロ棋士並みの腕前があった』とか聞いた事がありますが、
それは本当なんですかね?
でも仮に事実であったとしても、
昔の戦国武将と現在のプロ棋士が直接戦える訳もないのに、
どうしてそれが分かったのですかね?
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昔の棋力判定に詰め将棋の問題がります。昔のこれがとけたら初段の問題は今のプロ級の問題になっており、
昔のレベルの高さを思わせます。また昔は義務教育など余計に覚えるものがなく、純粋に将棋に打ち込める
のも大きな理由の1つです。最後に戦国武将は本物の切り合いに強く、将棋のねじり合いや勝負の呼吸に
長けているため将棋が恐ろしく強いのです。
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本因坊算砂は織田、豊臣、徳川三代の天下人に仕え、手合いはいずれも五子であった、
という俗説がありますが、真偽の程は怪しげです。
家康に関してはあるいは本因坊の指導を受けたことがあったかも知れませんが、
まあ本因坊が適当に負けてやってお茶を濁していたのでしょう。
(現在のプロのやってることと同じです)
武田信玄対高坂弾正の棋譜というのも残っていますが、後世の戯作でしょう。
家康が書簡の中で「碁打ちなどはうつけものの暇人がやるものだと考えていたが、
年取ってからやってみるとなかなか良いもので、今では自分がうつけものとなり候」
と書いているのは現存しています。
いずれにせよ、戦国武将の実力は井目級だったと思われます。
福田赳夫元首相は世界アマ選手権の開会式で、
「私は日本棋院から八段の免状を貰っているが、
私の実力は国家機密で明かすことはできない」
とスピーチして大喝采を博したそうです。
現在の政治家で最強は小沢一郎だと思います。
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CS放送の囲碁将棋チャンネルでよく昔の人の棋譜を再現してくれるのでたまに見るんですが 内容はしっかりとしたもので現代将棋の原型を見る事ができます ただ今の将棋のように わざと隙を残しておくような事はせず これじゃ手詰まりになっちゃうよという進行から少しずつ つつき合って隙を見つけていく内容が多いように思います 昔は持ち時間制限がなかったようなので これといったミスがないんですよね そういった所から現在のプロ並と称える人もいるんだと思うのですが 当時の秘伝とされていた書物が少し紹介された事があるのですが その内容からしても私は憶測ではありますがアマチュアの四段位じゃないかな県代表クラスまではいかないだろうなあと思いました
すいません将棋についての話です 囲碁は分かりませんごめんなさい
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今のプロ並みというのはどうかと思いますが、それでも相当強かったのは確かでしょうね。
江戸時代の本因坊は、現在のプロには歯がたたない、というご意見もあるようですが、たとえば本因坊道策が今の時代のプロと手合わせしたらどうでしょうか。もちろん最初は苦戦するでしょうが、すぐにットッププロと同等、またはそれ以上になるのは間違いありません。
こういうことは現在のプロも認めています。
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徳川家康は頭の体操として囲碁をやって居た。腕前は判らない。<武将は頭の良さは重要なことです>
徳川幕府には囲碁や将棋の専門の家来が居た、<プロ棋士の発祥>(碁で飯を食って居たのでそれなりに強かった)
その棋譜は現在にも残って居る。今から350年前の棋譜が残って居る、それを検討すると実力が判る。
江戸時代の人口は2000万人、現代は1億2000万人、現代で中国や韓国を入れると人口の底辺は10億人
現代の方が強い事は明らかです。
囲碁が現代のコミを使う様に成ったのは60年前、それから囲碁はドンドン発展して来ました。
中国や韓国が日本とほぼ同じ様なルールで戦う様に成ったのは40年前の事です、それから、10年程で日本は彼らに追い抜かれて仕舞いました。<残念>
こんな逸話も残っています、
有る年の暮れ、徳川家康と家来が碁を打って居た、家来が「松飾をやらないといけないので帰ります」と言った所徳川家康が他の家来の向かって「ご相手の松飾を作ってやれ」と言いました。
以後、この碁相手の家の松飾は毎年徳川家で飾る事に成り、それが250年間続いた。
徳川家康の政治の実力と碁好きが判る逸話です。
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