2012年3月27日火曜日

戦国時代、囲碁の強かった武将はどんなのがいましたか? そして、棋力はどれくらい...

戦国時代、囲碁の強かった武将はどんなのがいましたか?

そして、棋力はどれくらいでしたか?

適当に列挙して、評論してください。


|||



残念ですが武田信玄・高坂弾正の棋譜は作り物と言われています。

が、少なくとも織田信長・豊臣秀吉・徳川家康(と家康の碁敵・浅野長政)は碁を打ちました。



秀吉は、碁の持つ戦略性が武将にも必要だと考え、本因坊算砂に武将の前で講義もさせたことがあったとのことです。



本因坊算砂と3人の手合いは、共に5子だそうです。

となると、3人とも同じ棋力ということになりますが、

時の権力者にハンデの差を設けるような愚かなことはしないだろうし、実際の棋力は?です。

賢くなければ、それぞれに性格のキツい信長・秀吉・家康の三代に渡って仕えるなんて芸当、出来ません。



また本因坊算砂は、抜群の政治力で徳川家康を説き碁所・将棋所の創設させました。

将棋の先崎8段はエッセイ「浮いたり沈んだり」の中で、

「本因坊算砂がいなければ、現代に将棋のプロ組織があったかどうか分からない。」と書いています。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9B%A0%E5%9D%8A%E7%AE%97%E...



ちなみに坊主の印象があるのは、江戸時代、碁打ちにとって最大の栄誉である

将軍の前で打つ御城碁に出場する場合、剃髪して坊主とならなければならないためだと思います。

だから、有名どころは、皆剃髪していました。



本因坊一門でも、有名じゃない御城碁に出場できない低段ー中段クラスには

剃髪しない武士などいます。



|||



囲碁は基本的に坊さんの遊びですよ。

囲碁の最高位が名人ではなく本因坊であることからもわかるでしょう。

サムライのたしなみは囲碁ではなくて将棋。

0 件のコメント:

コメントを投稿