昔の戦国大名(織田信長とか豊臣秀吉とか)なんかは、
趣味で将棋や碁をやってたが、
その実力は今のプロくらいの実力があったって、
本当なんですか?
でもどうやってそれを知ったのですかね?
だってもう死んだ人だから、
分からないですよね?
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何に書いてあったのかわかりませんが、戦国大名の将棋や囲碁の棋力が現代のプロ並というのはあり得ません。江戸時代、天下太平の世になり将棋所、碁所などの環境が整備されてこその棋力向上です。特に将棋は、安土桃山時代はゲーム自体の創成期です。
徳川の将軍だと家治は詰将棋の作品集を著しているぐらいで、それなりの棋力があったとは思いますが、現代のプロと比べてどうこういうレベルではないと思います。
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ある年の暮れに徳川家康が家来と碁を打って居て、家来が「門松を飾らなければいけないので家に帰りたい」と言ったら
徳川家康が「わしがその門松を立ててやる」と言って
以後の徳川時代240年間に渡りその家来の家の門松は徳川家で立てたと言う逸話が残って居ます。
100年前の話だから、近いですね。
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特に織田信長は囲碁が好きだったようです。今の本因坊の宗家である本因坊算砂に「名人」を名乗ることを許したことは、有名な話です。その算砂と最高で3子置きだったそうですので、確かに現代のプロに近い棋力があったのかも知れません。
とはいえ、信長の棋譜が残っているというのは、私は聞いたことがありません。ですから、信長というネームバリューをより輝かせるために、算砂と3子という話がまことしやかに伝えられているのかも知れませんね。
でも、その頃から脈々と打たれ続けているということに、果てしないロマンを感じます。
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囲碁将棋に限ったことではなく、歴史上の過去をどうやって知るか、というと、まずは古文書などの記載、それとその裏づけとなる出土品などですね。
普通は歴史上の事実を類推する場合、A家の古文書に「B家との間で、いつ、こういうことがあった」という記載があったとすると、B家またはその関係する文献から同様の記載がないか、見解の違いがないか、そういう研究をしたうえで、歴史上の事象を確定させていきます。
ところが、囲碁の世界では、「坐陰談叢」という、日本の囲碁全歴史を標したと謳った書物があり、その1冊が囲碁に関する歴史を書き表していると勘違いされていることがあります。
坐陰談叢は、昔語りの伝聞、伝記。ネタのある話を作者が物語化したもの、半分明らかな事実に作者の推定を補間して話を完成させたもの、それらが、事実の話といっしょに混ざったもので、中には、坐陰談叢に書かれている以外に、他の歴史書、古文書等にまったく記述のない、囲碁界だけで一方的に語られているだけ、というものもあります。
そのように、囲碁界だけで語られている話のなかに、日海(初代本因坊算砂)は、信長・秀吉・家康の3人に碁をもって仕え、指南番として3人にそれぞれ5子置かせた、というのがありますが、この3人の生涯を記した記録の中には、「日海と打った」という具体的な記録がありません。
事実は、質問者様の言う通り、知りようがないことですが、もしも専門棋士と同等の棋力があったとしたら、それは特筆すべきことであり、その人物の歴史に残されるように思います。何も記録がないのは、そこまでの棋力だということはないのでしょう。
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囲碁のほうですがそんなことは聞いたことがありません。将棋もプロ級はないでしょう。
当時のトッププロに4~5子置いていました。もちろん真剣勝負なわけないですから、ごく普通のアマチュアレベルでしょう。
補足後
囲碁のプロというのは片手間になれるものではないのはわかりますよね?その人の人生を賭けて碁の修業をしてなれるかどうか・・・。当然プロ級になるのも人生をかけるぐらい囲碁の没頭しないとなれませんよね。
織田信長はや豊臣秀吉は戦などしている場合ではありません。天下統一を目指していてはプロ級にはなれないでしょう。
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