棋力は社会的能力と相関しないという点で数学的能力に似ていると思いませんか?
ご回答よろしくお願いします。
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質問の意味は、
「将棋が強くても、社会的能力が高いとは限らない=棋力と社会的能力には相関関係がない」
・・・・ということではなくて
「将棋が強い人はむしろ社会的能力が低い=棋力と社会的能力には逆相関がある」
・・・ということですよね。
まあ確かに、そんな気もしますね(苦笑)特に、将棋をやっている人(特に努力を重ねて棋力が相当に高い人)は
プライドが高く、負けず嫌いで、自分の強さを誇りに思っている。そのため
自分のスジをまげてうまく世渡りするようなタイプは少ない気がします。(特に日本社会ではこういうタイプは生きづらいですし)
実は私自身がそのような負けず嫌い人間でした。しかし将棋が強くなるにつれ、大きな孤独を感じました。
自分は社会からはぐれ、抽象的な将棋の世界に飲み込まれそうな感覚までしました。
私は、将棋は麻薬に近いものがあると思います。強くなるほど、強くなりたい。将棋があると、他のものに
対する関心や感動のレベルが極端に低下する。一人ぼっちでも、将棋をやっていれば寂しさも忘れられる。
私のように根が弱い人間ほど、強さに対してあくなき欲望があり、そして強さを手にしたとき、気がつくと多くのものを失っているのでしょう。
まあちょっと大げさに書きましたけど、プロでないなら、趣味はほどほどが一番ですよ本当に(笑)
サッカーW杯を見ていて、サッカーのようなチームプレー競技と、将棋のような個人プレー競技には、
人格的要素も含め、必要とされる要素がかなり違うと感じました。
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afloblue2001さんに拍手!!!
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囲碁は平安の昔から、数学と同じ様に論理的思考を持つ為の教養と考えられて居ました。
君子は和して同ぜず
解説
立派な人は仲良くしても同じ考えに成る事は無い。
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それは数学的能力様に失礼でしょう。
「社会的能力」というのは、当然仕事の能力も含むので、基本的数学力はほとんどの仕事に必要だし、高度な計算が必要な仕事も多々あります。
自分の環境だけで社会を捉えないほうがいいですよ。
棋力に関してはその通りかもしれません。
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